『ザ・プリンスギャラリー 東京紀尾井町』35階にあるメインダイニング『WASHOKU 蒼天 SOUTEN』。東京の景色を一望できる極上の空間の中、伝統的な和食をコンテンポラリーなテイストで提供している。
レストランの内装は食材の鮮度を閉じ込める「アイス」をコンセプトに、クリスタル調のインテリアで演出している。このスタイリッシュな空間で、独創的かつセンスの光る料理を生み出しているのが、エグゼクティブシェフの髙橋 賢さんだ。この記事では、髙橋さんの修業時代から和食の未来について、話を伺った。
料理人になるきっかけは幼少時代の原体験
ー料理人を志すきっかけは?
「料理が面白いなと感じたのは、母が見守る中、調理の手伝いをしたのがきっかけです。中学や高校時代、親がいない時は自分で作ったりもしましたね。そこで料理を作る楽しさを知りました。」
尊敬する師との出会い、和食の世界へ魅了される
1991年にプリンスホテル(現:西武・プリンスホテルズワールドワイド)に入社。『新横浜プリンスホテル』の「日本料理 羽衣」に配属ののち、2005年からは、『ザ・プリンス パークタワー東京』の『日本料理 芝桜』にて鍛錬を重ねることとなる。
「『芝桜』では、料理長の田中篤さんのもとで伝統的な和食を教わりました。ミリ単位までこだわれという教えのもと、料理に飾る葉1枚の向きまでピシッと揃える。それも50皿すべてです。これができるかできないかで差が生まれるのです。ビビッときましたね。」
師と仰ぐ、『芝桜』の料理長であった田中篤さん。かつて迎賓館などでも料理を担当した経歴を持つ日本を代表する料理人だ。尊敬する師のもとで日本料理の真髄に触れ、着実に技を極めていった。
2016年7月『ザ・プリンスギャラリー 東京紀尾井町』の『WASHOKU 蒼天 SOUTEN』の料理長に就任。日本人の誰もが思い浮かべる、昔から大事にされてきた素材を活かす「和食」。その伝統とスタイルを守ってきたからこそ、『WASHOKU 蒼天 SOUTEN』のコンセプトであるコンテンポラリーというミッションには苦労もあった。
コンテンポラリーなWASHOKUへの苦悩と開花
ー『WASHOKU 蒼天 SOUTEN』の料理長のオファーを受けた時、率直にどのように感じた?
「新しい“和食の形”への挑戦ということで、初めはどのくらい変化を加えるのか悩みました。(純和食を)少しアレンジした試作を出したら、『もっと攻めてほしい』と指摘を受けまして。脱却のきっかけとなったのは、和食では珍しいオールプリフィクスコースを考案したことですね。」
「一回、ハジけました」と柔らかに話す髙橋シェフ。笑顔の裏には大変な苦労があったに違いない。これまで築き上げた日本料理を根底にしながら全く新しいものを生み出すことは、並大抵のことではないはずだからだ。
ー開業当初、お客さまの反応は?
「最初は『これが和食なのか』という声もいただきましたが、その悔しさをバネにして"新しい和食"を生み出しました。」
苦悩した分、厳しい言葉は刺さるが、コンテンポラリースタイルの“新しい和食”を生み出すというミッションを揺るがずに追及した。今では髙橋シェフの料理を食べるために『ザ・プリンスギャラリー 東京紀尾井町』を選ぶお客さまも多く、評判は国外へも轟くことになる。
日本人シェフとして初めて招待を受けたグルメイベント『Culinary Safari』
2018年スペイン・マヨルカ島で行われたグルメイベント『Culinary Safari』に日本人シェフとして初めて参加。2023年秋には、イタリア・ミラノで開催された『TOKYO WEEK 2023 in MILAN』にて、名門ホテル『エクセルシオールホテル・ガリア,ラグジュアリーコレクション,ミラノ』との共演を果たし、イタリアの美食家に向けて和食を披露した。
ー海外のシェフとの交流で良い面は?
「普段交流機会の少ないシェフ達との出会いが一番印象的でした。最初の数日は料理の話をして、その後は趣味の話で盛りあがりました。」
国境を越えたプロのシェフ同士でインスピレーションを与え合い、帰国後はすぐに訪れた国の食文化を和食に取り入れたという。
「ミラノから帰国した後には、モンデギーリという日本のメンチカツのような郷土料理を作りました。現地では端肉で作っているらしいのですが、せっかくなので和牛でやってみようと。(ミラノのシェフからは)『ミラノよりおいしい』と喜んでいただきました。」
ー海外のシェフから教えてほしいと言われた日本料理はあるか?
「うどんの出汁の取り方、餅の作り方、揚げ物についても聞かれました。海外は生パン粉がなく珍しいみたいで。カツサンドを作って欲しいと言われて作りました。(普段食べているような一般的な料理を知りたいのは)両国同じだなと感じました。」
高まる日本食への期待に応える
訪日観光客は、文化体験や観光と同様に、食への関心も高い。ここ数年、日本食への期待値は私たちが想定しているよりもグンと上がっているという。
ー日本と海外とでお客さまの食の好みはどんな違いがあるか?
「日本も海外のお客さまも食を心から楽しまれるのは同じです。ただ海外のお客さまはグループでいらっしゃっても一人はコース、もう一人はアラカルトを注文するなど、思い思いのメニューをリクエストされますね。宗教的な理由で避ける食材もありますし、食文化によってはタコのように見た目で食べられない食材もあります。」
様々な国や文化、宗教を持つ人が集まるのは、ラグジュアリーホテルならではだ。以前提供したギルトフリーな「ヴィーガンアフタヌーンティー」は、コロナ禍で健康リテラシーの高まりから考案したもので、好評だったという。食の安全性を基本に、文化的・宗教的な食への配慮は今後より対応が求められるだろう。
ー使用する食材へのこだわりは?
「今後さらに力を入れたいと考えているのは、東京の食材ですね。これまでも地元の食材を楽しめる会席コースを提供したこともあります。東京産の野菜にはまだ知られていない面白いものがたくさんあるのです。当ホテルでは「Connect to your future」というテーマで地産地消やサスティナビリティに力を入れていますので、これからもさらに追及していきます。」
現状の流通システムや仕入れの基準などで、なかなか欲しい野菜がすぐ手に入りにくいそう。確かに東京に住んでいても東京産の野菜や食材に出会うことは案外少ない。東京の知られざる美味が料理人の手によって多くの人で伝わっていく、その過程をぜひ『ザ・プリンスギャラリー 東京紀尾井町』から見てみたい。
紀尾井町から世界へ ―和食の未来は人が創る―
ー世界を経験した髙橋シェフの視点で、改めて和食の魅力とは?
「ミラノに行って改めて和食の繊細さは絶対に負けないと感じました。味のバリエーションも和食には使える武器がたくさんあります。アイディアと工夫があればさらに増えていく。それが和食にはできるのです。『蒼天』のメニューは、『基本の出汁』をベースに成り立っています。土台をしっかり築くことで、様々な表現が可能になるのです。」
ー最後に、和食の未来はどうなる?
「料理は人が作るものですから、和食の未来も人が創るのではないでしょうか。(伝統的な)日本料理の世界を貫く方がいて、日本料理をやりながら新たな表現に挑戦していく方がいて。双方を目指す方がいるからこそ和食が発展していくと考えます。」
料理や食材のことを話している時の髙橋シェフの目は少年のように輝き、アイディアは止めどなく溢れ出る。次はどんな料理が、ここ『WASHOKU 蒼天 SOUTEN』を舞台に発信されるのか、期待せずにはいられない。
髙橋 賢さん(プロフィール)
1991年4月 プリンスホテル(現:西武・プリンスホテルズワールド)入社
新横浜プリンスホテル 「日本料理 羽衣」調理担当
2005年4月 ザ・プリンス パークタワー東京 「日本料理 芝桜」調理担当
2015年3月 「日本料理 芝桜」料理長
2016年2月 紀尾井町プロジェクト開業準備室
2016年7月 ザ・プリンスギャラリー 東京紀尾井町
「WASHOKU 蒼天 SOUTEN」料理長
2021年4月 ザ・プリンスギャラリー 東京紀尾井町 料理長